おねえちゃん


姉の話をしようと思う。


私は姉と四つ年が離れている。幼稚園や小学生、中学生のころまでは、普通の仲だったが、私が高校生になってから格段に仲良くなったように思う。

年を増すごとに、ちょうどいい距離感がお互いに分かるようになったのだとおもう。

考え方や価値観も似てる(姉の方が諦観意識が強いけれど)。あと、何より趣味が似てる。というか、私は結構姉に影響を受けている。音楽や本の趣味は完全にそうだ。

もちろん派生していくと違うのだけど、根幹や好きなものは似ている。ただ、彼女は映画が好きではない。面倒くさいそうだ。彼女らしいと言えば彼女らしいが。反対に私はあまり絵画は好きではない。というか美術館が好きではない。姉は逆である。あと私の方が漫画が好き。




ともかく、私は姉にとても助けられている。



なにをしゃべっても、考えても、伝わるというのはとても気持ちが良くて、私は高校が嫌いだったこともあって、よく姉に話を聞いてもらっていた。姉は別にアドバイスや親身になることはしなくて、聴いてくれるだけだったけど、もしくはそんなもんだよ、わたしもそうだったよ、と頷くだけだったけど、それがなによりも救いだった。

姉がわかってくれるなら、どうだっていいやと思った。

高校生のころは相当シスコンだったと思う。彼氏と遊ぶなら私と遊べや

!!と思っていたし。


今も、私は、帰ってきたら姉に今日あったことを話す。私が帰りが遅い時も、姉の帰りが遅い時もあるけど、すぐに私は姉の部屋に飛んでベッドの上に寝転がって話をする。私はあまり自分の話を他人に口頭でするのは得意ではないんだけど、姉には言う。どんなに文脈がおかしくても、思ったことをすぐに言うから、話が飛びすぎだと怒られる。姉が布団に入ると、寝ないで!と今度は私が怒る。可哀想。



この前も私が怒ると、「まだお話があるの?」と眠そうに言った。私はその時に、ああ、ちゃんと姉は私がお話をしたいってことを分かってたんだ、と思った。双方間じゃなくて、一方的な「お話」。おしゃべりじゃなくて、なにかお話してー、の「お話」なんだ私のは。そして姉は全部分かってて、ずっと付き合ってくれていたのだ。

私はなんだか気恥ずかしくなって、自分の部屋に戻った。姉はすぐにすやすやと寝た。


姉はもうすぐ家を出ると思う。私は彼女のいない家を知らない。

姉のベッドに横になって、狭いよう、と文句を言われるのが好きだ。おうちに帰ってきたなあ、と思う。犬も無理やりベッドに乗っけて撫でる。犬は眠そうにしている。姉は狭いと文句を言う。私はほとんど体は宙にはみ出しながら、まあいいじゃん、と返す。こんな夜がずっと続けばいいのになあ、と思う。心底思う。













ゆめのはなし



夏目漱石夢十夜が、朝日新聞で再び連載を始めた。私はハサミで切り抜いて、スクラップにしようか、どうにかして綺麗に壁に貼ろうか迷っているところだ。第一夜が高校の国語の授業で取り上げられた時に、ひたすら虜になってしまい、帰りに急いで本屋で文庫を買って帰ったのを覚えている。百年経つことと百合が掛けられていることがわかった時の感動といったら!

静謐でロマンチックで筋が合わなくていかにも夢らしい第一夜が、私は1番好きだ。


私は夢を見たら、なるべく携帯のメモに概要だけでも残すようにしている。なんかネタになるかな、というのもあるが、単純に読み返すと面白いからだ。巷では夢日記は精神を狂わせるといった噂があるようだが、今のところなんの支障もない。日記というほど書いていないからだろうか。目が覚めた瞬間にほろほろと忘れていく感覚は何度味わっても妙なものだ。幻を掴むみたいに、寝ぼけた目で文字を打っていくのは不思議な感覚である。

夢はたまに象徴的で暗示的な何かを出演させる。夢占いが流行るのも分かる。なにかしら意味があるものだと思ってしまうのも無理はない。

今日見た夢は、あ、私もこの一文を使ってみたい。





こんな夢を見た。



大きな和室にいた。旅館を思わせるような作りで、襖で何畳もある一つの畳部屋が仕切られているようだった。建物自体は上に高いようで、廊下に繋がる襖は開け放たれ、高い位置にある窓から夕陽が差し込んでいる。空間はオレンジに染まっていて、埃がキラキラと雪のように輝いて舞っている。私はその一室で、大層好きな歌手の男の人と対面している。彼は白いTシャツにダメージジーンズを履いていた。裸足だったので、私は彼の足の爪の形の美しさを目に留めることが出来た。彼は何かを言った。私は何かを答えた。彼は笑った。そして私と手をつないで、それからいくつもの布団を重ねて作った塔を器用に登り、私を呼びながら上の階へと消える。私も続こうと布団を掴むが、バランスを取るのが難しく、ぐらぐらと足場が揺れて辿り着けない。無理矢理にぐっと力を込めて体を引っ張ると布団の塔はドサリと崩れ落ちてしまった。

私はすこし途方に暮れて、階段を探した。



そこで目が覚めた。

わたしは幸せと切なさの間の気持ちの中で起きて、少しだけ笑った。時刻はもう昼だった。

















午前三時



急に自己嫌悪の波が来て先が来るのが怖くてこれからが嫌で仕方なくて、夜中に小さな音で、好きだったバンドの新譜を聴いている



本当は今も好きなのだ 本当は



わたしは変わりたくなかったずっと同じのままでよかった 


変わっていくものはこわい 後ろの方がずっと綺麗だから 見えない先を考えるのは恐怖でしかない


みんなはそれをやってのけるから

人の努力は見えないから見えにくいからわたしはわからないから とてもうまくいってるようにみえる 

置いて行かないで


本当は今も好き とても好き


誰かのために歌わないで欲しいのだ わたしと二人でずっといてくれたじゃないかこの歌は 



明日は早起きがしたい 

動かなくなった時計を動かすための電池を買いに行きたい

ずっと使っていなくて錆びてしまった自転車を直しにいきたい

大好きな曲を練習したい

美味しいものを食べたい

川べりを歩きたい

綺麗な体になりたい

好きな人がほしい

働きたい

部屋を綺麗にしたい


となりにいてほしい 



だから今日はもう寝るのだ、夢は手元にはなくて、きっと見るものだから、今日は絶対にいい夢を見てやるから









せつなさのはなし





今日は雨が降っていた。バス停で前にいた中学生の女の子は、白い靴下が汚れていた。雨で跳ねてしまったのだろう。私はもうこの長さの真っ白な靴下を履くことはないだろうなあと思った。もっと履いておけばよかったとは思わなかった。それはきっと過去に思いを馳せているだけだからだ。後悔は全部そうだ。昔の方が綺麗で、ただ、戻りたいだけなのだ。





過去は切ない。けど未来だって切ない、と私は思う。私の中で、過去と未来の切なさは、ノスタルジアと宇宙の切なさとほぼ同じだ。



そしてそれは連なってるように思う。円環のように。



宇宙にノスタルジアを感じるのはなぜなのだろう。



多摩六都科学館に行った時に、古い宇宙に胸がドキドキして、あ、これノスタルジアだ、と思った。どこかへ帰りたくなった。多分、宇宙に。




私の大好きなバンドのひとつにavengers in sci-fiがあるのだけど、なんで好きかというと、その世界観が切ない宇宙のノスタルジアだからである。歌詞と音楽、それ自体がとても個人的でありながら普遍的なような、コスモちっくで、近未来でありながら、懐かしくて切なくなる。余韻があるのに突き放される。起承転結はなくて、シーンをひとつひとつ見るような、そんなバンド。


彼らは宇宙へと帰ろうよと歌っていて、これは多摩六都科学館と同じノスタルジアだなあと感じる。


宇宙はすべてにとって帰る場所なんだと思う。






地球は宇宙だけど、いま瞬いているはずの星の光を見ることはできない。わたしたちに届くのはいつだって少し前の光だ。




くらくらして胸が苦しくなるくらい愛しい。







Perfumeも大好きなのだけど、その理由のひとつに、彼女たちの宇宙的な切なさがある。

ライブにも何回か行ったことがあって、彼女たちの楽曲のテクノポップの特性上、基本的にはかぶせて歌うことが多い。



わたしたちが聴くことの出来るのは、その当時の彼女たちの声なのだ。

加工して感情が剥ぎ取られた声が、何よりも切なく響く。ぎゅっと閉じ込めて凍らされたまま、解凍されることはけしてない。彼女たちの楽曲はいつも刹那的な少女のままだ。成長できないアンドロイドとおんなじで。





少し前の光が届くような思いになる。






整理された声で愛を歌う歪さが愛おしい。サウンドとして使われている、とエフェクトをかけた声はよく言われているけど、わたしはすごく意味があると思っている。







何を言いたいかというと、未来的なものって切なさをめちゃくちゃ内包していてそこがとっても苦しいほど好きだよ、ということです。







宇宙には音がない。暗くて怖くて寒い。




切なくて悲しくて、それでも、わたしたちの帰る場所だ。いつまでも。





かみさまください、私だけのとびっきりのやつ


ずっと思ってること




わたしにとって唯一の人が欲しかった。それは彼氏や彼女じゃなくて、きちんとわたしの芯を形作るもので、もうそれは言ってしまえば神様みたいなものだった。でもわたしは宗教は何も信仰出来ずにいる。


私を今まで作ってきたものは多くのフィクションである。漫画やアニメや絵本、小説、映画。私は数々の夢を見た。おとぎ話、ファンタジー、恋愛もの、ホラー、ミステリー、サスペンス。その物語の主人公たちはキラキラと光っていて、普通とは違っていて、私とは全く比べ物にならないくらい、素敵だった。だから私は思った。こういう人たちじゃないと物語は作れないのだな、と。こういうのって人たちじゃないと、登場人物にさえなれないのだなと。


自分の人生の主人公は自分自身らしい。私は未だにそのことを納得できたことがない。なるほど人生の視点は必ず一点で、私自身の両目である。選択だって自分で出来る。でもこの体で、この心で、私は私として世の中で戦っているのだろうか。この世で輝いていたのはあの素敵な人々だったじゃないか。

恋愛は。勉強は。仕事は。全部うまくいくのはああいう選ばれた人なんじゃないだろうか。私がやっていいことなんて、あるのかな。自信って、どうやって持つんだろう。私が持っているものってあるのかな。登場人物にもなれないのに。モブにさえ、きっと、なれない。


私は幸せだ。五体満足だし、家族もきちんといるし、ご飯だって食べているし、学校にも通わせてもらっている。お友達だって、いる。でもどうしてこんな気持ちになるんだろう。欲求不満なのかな。無い物ねだりなのかな。

私には皆がずっとずっとスマートに生きているように思えて仕方ない。


私は恋人がいない。それに関しては特に気にしていないつもりだけれど、どこかでコンプレックスになっているのかもしれない。だって世の中には面白いくらいカップルがいる。街歩く夫婦を見かけても私は感動してしまう。この人たちは他人と他人だったはずなのになあ。どうして私には恋人ができないんだろう。恋人というのは、私が暮らしているこの日本の中では、どうやら友人より上の存在らしい。彼氏彼女を優先するのは当たり前のことで、イベントは2人で過ごすものなのだそうだ。恋人がいるということはリア充であり、恋人のいない非リア充に比べてステータスが上らしい。恋愛至上主義の世の中を嘆くというよりも、私は、一人の人間と深いコミュニケーションをとることを世の中全般のリア充達がやっていることが信じられない。リア充達は何度も連絡を取り合って、2人で遊んで、キスしたり、抱き合ったり、セックスしたりしてるのかと思うと、驚きに包まれる。

そして何よりできない自分の人間性に驚嘆する。レベル低すぎるのではないか。でも経験値がないんだよ。でもそこまでして、例えば合コンしたり出会い系サイトを使ったりなりふり構わず恋人が欲しいかというとそんなことはない。きちんと好きな人が欲しい。それからちゃんと過程を踏みたい。でもそんなことを言ってる場合ではないのだろうか。私みたいなマサラタウンの草むらにいるポケモンレベルの人間はがむしゃらにならないといけないのでは。ふしぎなアメはどこにも落ちてこないのだし。


わたしの好きなフィクションは、色んな人に唯一の人がいた。恋人、相棒、友人、家族、時には名詞にできないような関係性だって、あった。私にもそれが欲しかった。ずぅっと信頼できるひと。ずぅっと好きでいれるひと。そんなのはいないんだよ、って、分かりたいけど、嫌なのだ。お前は主人公じゃないんだよ、って、分かってるのに、嫌なのだ。変なところが夢見がちで、頭が悪くて、げんなりする。

誰かに、大丈夫だよって、ずっと言ってほしい。私はあなたが好きだよ、って、言ってほしいし、言いたい。守ってほしいし、守ってあげたい。でもいない。そんな人はいない。どこにもいない!

人が宗教を持つ理由が、最近少し分かった気がする。絶対のものがあるっていうのは、心地よくてたまらないものなんじゃないだろうか。

好きな人に傾倒するのも、熱烈なファンになるのも、一種の宗教で、すごく気持ちのいい行為なんじゃないかって、私は思う。


でも私はどこにもない。あてもない。絶対、壊れない、神聖な、それでいて、私だけのものなんて、世界にあるはずがないのに。


きっとあったら、私はもう少し自信が持てると思う。私の好きなものに好かれているのって、最高な気分になると思う。そうしたらもっときちんと生きれるんだと思う。きちんと生きるって、どういうことか、わからないけど。


作ろうかな。イマジナリーフレンドのように。私の中に私だけの神様。ずっと壊れなくて理想で固められた素敵な素敵神様。何があっても私だけを考えてくれて、どんな時も私のことを好きでいてくれる、最高に尊い神様。




















手フェチは静かに暮らしたい


吉良吉影を知っていますか。

杜王町で一番優雅で冷静な変態です。誰よりも静かに暮らしたい素敵な変態です。変態。何が変態なのでしょう。


彼は女性の手に強烈なフェチを持っています。



それはモナリザのふっくらとした手を見て勃起するほど。彼は女性の手と一緒にサンドウィッチを選ぶし、ポケットにいれて持ち歩くし、愛おしそうに撫でるし、お尻まで拭きます。彼はそれゆえに殺人を犯すし、それゆえに追われるし、それゆえに、、、、まあそこはいいでしょう。何はともあれ私が取り上げたいのは手です。手。吉良吉影が愛してやまない、手。どこがそんなに魅力なのでしょう。指?爪?関節でしょうか。それとも骨格?万人が持つ手は何故魅力的なのでしょう。

さあ、手の話をしましょう。


手というのは体の中で一番官能的だと思いませんか。体の部位の中で最も自由に動かせる場所でもあります。指先はバラバラに動くし、ねじったりひねったりもできる。またデザインが美しい。余計なものがありません。心霊写真や心霊映像で、よく、手だけのお化けが出てくることがあります。あれは手が持つ特異性によって成立するものだと思います。だってお腹や太ももだけが出ていたって滑稽なだけだと思いませんか。あの手のフォルムの美しさが存在を肯定しているのです。また、手は外界との繋がりです。私たちは手を使って、周囲とのコミュニケーションを測っています。手がメッセンジャーの役割をしているのです。その手の持つメッセージ性が、手だけの存在を成立させているのです。

手のひらの付け根から腕の真ん中をはしる骨の間の隙間は何て愛おしいんでしょうか。二つの茎状突起はどちらもくらくらするほど綺麗です。ふっくらとした第二関節は、手の甲に浮き出る骨は、何度見ても飽きることはありません。白くて長い指先が箸を持つ仕草を、バイオリンの弓を引く動きを、ギターの弦を抑える形を、あなたが関心を持って見ていないのなら、本当に勿体無いことです。あなたが電車に乗っている時、前に立つ女性の指がつり革を掴む仕草が世界で一番美しいかもしれないのです。手との出会いは一期一会です。機会は逃してはいけません。


昔、歪みの国のアリスという携帯ゲームがありました。その中で、精巧な形をした手のパンが出てくるシーンがあります。eat me というメモとともに置かれた手を見てアリスは驚くのですが、爪が薄い飴で作られているって描写があったのです。私はそこになんだかすごく惹かれてしまいました。あの小さな綺麗な爪は、薄い桃色の飴細工なのです。甘くて美味しい、繊細で、手荒く扱うと割れてしまう、飴細工。それが爪。あの美しい爪。それから私は、たまに綺麗な薄い爪を見るとぱきんって割れちゃうんじゃないかなってどきどきするようになりました。口に含んでみたい。だってきっと甘くて美味しい。でも割れてしまう。でも食べたい。食べてって言っているもの。派手な女の人の鋭くて長い爪は駄目です。男の人の、美しい、適度な長さの綺麗に整えられた爪がいい。長い指先についた、素晴らしい弧をえがいた薄い爪。舐めてみたいと思いませんか。


はたして吉良吉影を変態と言えるでしょうか。

彼はただ単に本能に忠実な素直な男だったのかもしれません。だって手の魅力の前では仕方ありません。美しい手の元では万人が平等なのです。美しいものは美しいし、美しいものは好きになってしまうし、好きになってしまうと手に入れたくなるし、手に入れたくなると、、、、、まあそこはいいでしょう。

何はともあれ手、手です。私が愛してやまない、手。

あなたはどこが魅力的だとおもいますか。どうしても分からないなら、私に一度、見せてもらえますか。


さあ手の話をしましょう。

















終わりの日記


終電の一本前の電車に乗ることができた。明日は2限からだけど、睡眠は足りなくなるかもしれない。


最寄り駅を降りた後、家に向かって歩いて帰ることにした。朝は雨が降っていたから、自転車は乗れなかったし、もう終バスは終わっている。歩くしかなかったのだ。駅のロータリーでは、タクシーが二台、所在無さげに客待ちをしていた。運転手が一人、トランクの後ろで煙草の煙を吐いていた。煙は真っ暗な空を一筋白く分けて消えた。


ちょうど家の方向が月が同じだったので、私は目印のように上を向いて歩いた。

今日の月はとても明るいからか、周りにじわじわとくすんだ虹色のような淡い光が丸く広がってて、薄く雲がかかっているけれど、そこから漏れる光もまた綺麗だった。

ところどころ電線が月を渡って、美しい構図を何度も描いていた。私が詩人だったら良い作品が作れるのになあと思う。せめて写真を撮ろうか少し逡巡したけれど、肉眼に勝るレンズはないことは、約20年間でようやく培った経験の一つでもあったから、私はひたすら上を向いて鼻歌をうたって歩き続けた。



月が明るいだけでこんなにも心強くて、こんなにも感動するなんて、なんて良い日なんだろうと思った。家のドアをそろりと開けると、リビングの奥で犬が眠そうに私のことを見つめていた。

ただいま、と寝ている母親に声を掛けると、気をつけなさいよ、と柔らかい返事が聞こえた。わたしは水を飲んでから、着替えて布団に入った。
明日も良い日になりますように。
もうあしただけど。